三囲神社 (みめぐりじんじゃ)

今日は三囲神社(みめぐりじんじゃ)に行ってきました。

この神社も昨年末に呑んだ際に、Pippiさんに教えてもらった神社です。

運動不足解消もかねて、今回も家から歩いて行きました。1時間15分程度で到着しました。カメラリュック8kgを背負ってのウォーキングだったので、それなりの運動になりました(笑)。

今日はもう4日なのに、参拝する人で長い列が出来ていました。
さて、こちらがこの石造りの三柱鳥居(みはしらとりい)です。
3本の柱で正三角形に組み合わされ隣り合う鳥居同士が柱を共有しています。
鳥居の横には、「三井邸より移す。原型は京都太秦(うずまさ)・木島(このしま)神社にある」と説明があります。そうなんです。ご存知の方も多いかと思いますが、ここ三囲神社は三井家と深いつながりがあります。草創は定かでないようですが、建立されたのは平安時代初期と伝えられているそうです。三囲の名前は、三井の広報によると、
三囲神社の名称は、南北朝時代の伝説に起因する。近江三井寺の僧・源慶がこの地を訪れ、荒れ果てた小堂を発見。それが弘法大師の建立した社だと知った源慶は、直ちに社殿の再建に着手した。社地から発掘された壺から老翁の神像が見つかり、どこからともなく白狐が現れ、その御神体の周囲を三度巡って去っていったという伝説だ。
時代は下り元禄6年(1693年)、江戸は厳しい干ばつに見舞われた。雨乞いを祈願する農民たちに、俳諧の達人・基角(きかく)は「夕立ちや田をみめぐりの神ならば」と詠んだ。この句では“三囲”と“見巡り”が掛け言葉となっていて、神前に奉じた翌日には雨が降り、その霊験は江戸中に広まったと言う。
三囲神社の“囲”の文字には三井の“井”が入っている。そのため、「三囲はすなわち三井に通じ、三井を守る」と考えられた。長く崇敬されてきた歴史があり、今なお三井家とのゆかりは深い。社域の一角には三井11家の当主夫妻、120柱余りの霊が神として祀られている「顕名霊社」がある。没後100年を経た霊だけが祀られる、特別な場所だ。
※三井広報委員会のwebsiteより引用
この説明に出てくる、三井家を祀る顕名霊社がこちらです。
三越各店で分霊が祀られていてるそうです。そして境内には、三越のシンボルであるライオン像があります。
境内にはこの他に、老翁老嫗(ろうおうろうく)の石像や、白狐祠(びゃっこし)があります。
なかなか興味深い神社でした。

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