山田検校の墓

東京都葛飾区高砂の源照寺に、山田検校の墓があります。

お恥ずかしながら、山田検校に関して名前も知らなかったのですが、源照寺を訪れた際に山田検校の墓を見つけて、この有名な箏曲家のことを知りました。

こちらが源照寺です。

そして、その中にある山田検校の墓がこちらです。
墓石には、しっかりと山田検校と刻まれた名前を読むことが出来ます。
墓は東京都指定旧跡に指定されています。
山田検校(1757-1817)は、江戸時代中期の箏曲家です。宝生流能楽師三田了任の子として生まれ幼くして失明、箏曲の道に入りました。医師山田松黒から箏曲歌の伝承を受けたとされています。箏を主奏楽器とする箏浄瑠璃とも言うべき新しい音楽を創案し、多くの作曲を行いました。これらの曲は、後年、山田流箏曲と呼ばれています。検校は、1817(文化14)年に惣録検校まで進みましたが、同年のうちに亡くなり浅草山谷源照寺に葬られました。現在の墓は、関東大震災ののち、2017(昭和3)年に移転されたものです。
東京都教育委員会
いろいろ調べていたら、「かつしか郷土かるた」には、ちゃんと山田検校がありました。

なんと、葛飾の子どもたちは、ちゃんと山田検校を知っているようです。名前も知らなかった私、恥ずかしい(笑)

私の葛飾散策は、まだまだのようなので、引き続きいろいろと出かけて発見してみます。

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