熊野神社 (葛飾熊野神社)

葛飾区立石にある熊野神社に行ってきました。
場所は、立石駅からは東の方向、青砥駅のからは南の方向にあります。こちらが入り口です。
まっすぐに進むと本殿があります。
創建の由来は、解説にはこう書かれていてます。
また、別の創建の解説には
長保年間(999)阿倍仲麻呂の曽孫・陰陽博士安倍晴明が紀州那智熊野において、華山上皇に従い山ごもりを終え、熊野の大神勧請の旅中、たまたま中川の清流のこの地を清浄なる聖地として選びました。陰陽道の五行説の五行にかたどり、境内を三十間五角とし、五方山熊野神社と名付け、紀州熊野三社権限を鎮祀し、神代の石剣を御神体としました。

とあります。

調べてみると、この安倍晴明は平安時代の最も有名な陰陽師の1人で、鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏の祖ということです。

入口にも付けられていた熊野神社の御神紋、中央には八咫烏(ヤタガラス)がいて、その周囲を五角形が囲んでいる紋です。

これは、安倍晴明の陰陽五行説(万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説)からきているものです。しかも、実はこの熊野神社の境内そのものが、一辺が三十間(54.57m)の五角形をかたどっているのです。
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熊野神社の大鳥居信史宮司は、なんと神田明神の宮司でもあり、しかも菅原道真の後裔なんだそうです。2009年5月、自身が神職になって五十年を迎えた記念に、京都市内のオークションに出品されていた、元は三井家江戸屋敷に建てられていた銅製五重塔を私費で購入し、神社に寄進したそうです。この銅製五重塔、台座を含む高さ7メートルあり、同神社では銅製五重塔では日本一としています。(東京国立博物館の庭園に展示されている銅製五重塔は、徳川綱吉が法隆寺へ寄進したとされるもので高さは5.7mです。)

五重塔を寄進、勿論それは陰陽五行説の「五」からきているそうです。この日は五重塔がある敷地の門が閉まっており、上の部分を塀越しにしか見ることが出来ませんでした。

境内には富士塚もありました。
高さは1.5mでそれほど大きくはありませんが、富士山から運んだと思われる溶岩がしっかりと置かれていました。

知らなければ通り過ぎてしまいそうな普通の佇まいの神社ですが、歴史と由来には、凄いものがありました。

■ 葛飾熊野神社

   東京都葛飾区立石8-44-31

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